【大学落ちた】人生妥協するな 浪人すればいい

合格通知
こんにちは!今川先生(@hobohoikushi)です。


浪人、そう、大学に落ちて、1年間、予備校などに通って、希望する大学に進学すること。

僕が高校生の頃には、普通に『浪人』する人が多かったです。

妥協して、受かっている大学に行くのももちろんいいと思います。

僕の兄も2年浪人して、希望の大学に進学しました。
合格通知が来たときは、狂ったように窓から叫んでましたからね。

そんな僕も、みんなより2年遅れて大学に進学しました。

そんな経験を書きたいと思います。

今はそこで妥協しなかったおかげで、とても楽しい生活を送っています。

この文章を読めば、少なくとも「妥協」はしたくなくなるはずです。

世帯年収1,000万プレーヤーの僕が言うんだから間違いありません!

人生妥協するな 浪人すればいい

人生妥協も必要ですからね。

ただ、人生は80年以上あります。

まだ20歳にも満たないあなたが、たかが1年2年、自分の希望の大学に行くために回り道したって、全然かまわないと思います。

人生の1年2年だけ使うことによって、あと残りの60年ぐらい、楽しく過ごせるかどうかを左右する、それくらい、重要な期間が『浪人』です。

僕の高校生活 黒歴史

僕は、高校に進学しました。

中学校の頃は、勉強もあまりしたことはなかったです。

でも、小学校からの積み重ねで、勉強しなくても、中間テストやら期末テストやらでは、平均点ぐらいは取れていました。

ただ、勉強しないわ、提出物出さないわ、授業中しゃべりまくるわの子だったので、内申点は最悪でした。

高校受験も、周りが勉強する中、「まあ、どこかには入れるやろ」と、受験勉強もせずに生きていました。

高校を選ぶのも適当で、当時仲の良かった友達が「俺、この高校にいくわ!」と言った高校が、ちょうど僕の当時の成績と同じくらいの学校で、「じゃあ、俺もそこ行くわ!」みたいな感じで受験校を決めました。

受験勉強はしませんでしたが、公立高校で、倍率が1.1倍だったので、運だけで合格しました。

自分で決めた高校ではなく、友達が行くといってノリで一緒に行くと決めた高校。

結果ですが、その友達と3年間同じクラスになることはなく、まず、その高校に行った意味がわからない。

あと、自分が「ここに行きたい」と強い意志を持って決めた高校ではないので、特別やりたいことも見つからない。

追い打ちをかけたのが、当時、公立高校で学区というのがあって、学区の中で上から4番目の高校だったんです。

それが、3番目と僅差で、何とかして3番になろうと、高校教師も必死で、課題ばっかり出されていました。

当然、中学から提出物など出さない自分は、全くついていけず、クラスが35人いたのですが、総合成績は34番でした。

35番目の子は不登校で、実質ドベでした…。

はいダメ~。

クラブ活動も、面白そうなものなく、毎日、家に帰ってゲームばかりしていました。

帰宅部というやつです。

そのうち、高校行くのもイヤになってきて、朝、出席だけ取って、2時間目から家に帰ったり、着替えを持ってきていたので、駅のトイレで着替えて、某遊戯施設に行っていました。

社会不適合者ですよね。

なので、出席は、1時間目の出席で出席扱いになったのですが、いかんせん、テストの点数やら、授業態度やら、最悪でしたね。

何とか高校は卒業したものの社会不適合者のまま

卒業は何とかさせてくれましたが、目標のない、ムダな3年間を過ごしました。

卒業して、周りは進学するのですが、トップ校ではなく、3番か4番の学校だったので、みんなが進学する大学も4番目ぐらいのランクの学校。

東京でいうところの、国立→早慶→MARCH→その下?ぐらい。

大阪でいうところの、国立→関関同立→産近甲龍→その下?ぐらい。

なので、産近甲龍のどれかに入れれば「すごい!」ってなってました。

その下ぐらいが、みんなの通う大学でした。

僕は、大学を受けることもなく、いや、受けても無駄だとわかっていたから、受けもしませんでした。

就職先すらない時代 就職氷河期

就職も、当時は就職氷河期と言われていた時代だったので、工場のライン製造とか、スーパーの棚卸とか、そのようなお仕事(馬鹿にしているわけではなく、高卒では会社員とかにはなれなかたんです)しか選択肢がありませんでした。

父親が自営業をしていたので、父親の自営業の手伝いをすることになりました。

いや、正確には、家で何もせずフラフラしている息子を見るに見かねて仕事に連れていったのだと思います。

鉄を扱う仕事だったので、電気のこぎりで切ったり、溶接でひっつけたり、高いところに登ったり、まあ大変な仕事でした。

父親がこういう仕事をして、自分たちを食べさせてくれていたんだ、と感じたのと同時に、「俺にはこの仕事、継がれへん。俺には荷が重すぎる。」と感じました。

そこで、自分に向いている仕事って何なんやろ?と漠然と考えるようになりました。

でも、考えるだけで、行動に移すことはありませんでした。

人生のターニングポイント 親戚の結婚式

父親の仕事を手伝い始めて1年半ぐらい経った頃、親戚のお姉ちゃんの結婚式がありました。

ちょうど、ニート2年目の9月のことでした。

親戚の結婚式は名古屋であり、それはもう、派手な結婚式でした。

結婚式

ちょうど、『父親の仕事は自分の力では継げない』『自分に向いている仕事とは?』を漠然から、ちょっと真面目に考え始めた時期で、親戚のお姉ちゃんの結婚式を見ながら、

「俺、このまま生きてても、結婚できずに人生終了するんやろな…。」

そこで、何かのスイッチが入ったのだと思います。

結婚したかったわけではありません。

ただ、何もせずに生きてきて、そして生かされていて、今の人生に自分自身に失望したのだと思います。

名古屋から帰って、自分に向いている仕事を考えました。

初めて自分の人生と真面目に向き合う

初めて、自分の進路を自分で考えました。

「子どもが好きなので保育士になろうか?」「保健室の匂いが好きだったので看護師になろうか?」

この2択でした。

保健室の匂いは、変態ではないですよ。

アルコール綿とか、消毒液とか、そういう匂いです。

小学校の頃、保健係ばっかりやってたし。

でも今思えば、保健室の先生って、看護師じゃなくて、養護教諭なので、そこで気づいていたら、教職を目指していたかも知れません。

保育士に関しては、自分なりに「子ども好きやけど、就職先あるんかな?看護師やったら病院あるから、絶対就職できるやろ?でも、保育士って、保育園しかないやん。」

と、漠然と、就職氷河期での就職先の立ち回りを自分なりに考えていました。

そして、目指す学校は看護師の学校!どうせ行くなら専門学校じゃなくて大学!!

そこで、自分が行けそうな看護大学を探しましたが、大阪にはありませんでした。

あるにはあるけど、国公立大学と、看護短大で、しかも倍率が半端なく高い。

ああ、これはアカン。

偏差値38(推定)の俺が、行けるわけがない。

偏差値38からでも行ける大学を探す

そこで、偏差値38(推定)からでも目指せる大学を探しました。

当時見つかったのは、九州の山奥の大学か、広島の山奥の大学、この2択でした。

どちらの学校も、受験科目が「英語」と「理科」か「数学」でした。

はい、数学ムリ。

理科は、生物か化学か物理。

うん、時間がない。

ほぼ暗記でイケる「生物」で行こう!

勉強は独学でいくと決めた それしか選択肢がなかった

ただ、9月から入れてくれる予備校なんかない。

勉強は、独学でやるしかない!

ここで、要領のいい独学の知識を身に付けました。

【2021年度】保育士試験独学合格のおすすめテキスト&勉強法

2020年10月18日

保育士試験に超役に立ちました。

参考書なんか読んでも、頭に入れるの大変やな。

何か、問題解きながら覚えれる、そんな本ないかな?

ありました。進研ゼミです。

薄い参考書と問題集。

要点だけまとめられた、まさに9月からの受験生にピッタリの本!

いや、9月から勉強し始めるやつなんかおらんし。

9月から2月まで5か月ある。

必死で勉強すれば、英語と生物くらいなら何とかなるかも。

今の時代みたいに、タブレット端末があるわけでもなし、youtubeで教えてくれるわけでもなし、頼れるのは、紙ベースだけ。

人生を変えたいと思い勉強し始めた

薄い進研ゼミの本を、何回も何回も繰り返しやりました。

1日12時間ぐらい勉強しました。

母親も「どうしたんあんた?」みたいな感じで最初は見ていましたが、僕が真剣に大学を目指しているのがわかったようで「がんばりや」と応援してくれました。

薄っぺらい進研ゼミの大学受験講座、破れるぐらいやりました。

お正月明けぐらいに、模試があって、英語と生物だけ受けてみたんですが、英語はまぁ、偏差値50ってとこやったんですが、生物に至っては、ほぼ満点で偏差値68!

うん、来月の大学入試本番も、この調子で行ければひょっとしたら合格できるかも。

いよいよ大学入試

迎えた大学入試当日。

広島の大学の試験でしたが、大阪にも会場があり、そこで受験しました。

英語に関しては…。

生物に関しては、簡単すぎてびっくりしました!

これ、100点やな。

1週間後、自宅に書留で封筒が届きました。

2浪した兄が言っていたんですが、「落ちてるときは封筒が薄い。受かってるときは手続きの書類が入ってるから封筒が分厚い」

届いた封筒は、

大学からの通知

分厚い!!

封筒がボロボロなのは、興奮しすぎて袋の開け口がわからず、ビリビリに破いてしまったからです。

中身は、合格。

9月から2月まで一生懸命勉強しました。

ゲームもせず、がんばりました。

合格通知

努力すれば、結果が出る。

それを人生で初めて感じた瞬間でした。

楽しかった大学生活

大学に入ったら、それはそれは楽しくて、広島での一人暮らしを満喫していました。

生物を勉強していたおかげで、最初の基礎看護学とかは、ものすごく簡単でした。

友達もいっぱいできました。

大学、死ぬほど楽しかったです。

勉強も楽しかったです。

看護実習は地獄でしたが、今となればいい思い出です。

今は目標が見えなくても、今妥協すればずっと妥協の人生になるよ

人生に、目標が全くない時期もあると思います。

何も見えない人もいるかも知れません。

でも、ちょっとしたきっかけでスイッチが入って、人生に目標ができて、がんばるときがくると思います。

がんばる時期は人によって違うと思います。中学受験でがんばる人、高校受験でがんばる人、大学受験でがんばる人、その全てでがんばる人、がんばりどころは人それぞれあると思います。

ただ、絶対に言えることは「努力しなければ、がんばらなければ何も得られない」ということです。

だから、人生、1年や2年回り道(浪人)しても、人生の中ではほんの一瞬です。

その一瞬においてがんばるかどうかで、人生が大きく変わります。

妥協して、高校や大学を決めてしまってもいいと思います。

家庭の事情もあると思います。

でも、本当に自分がなりたいものは何か?自分がやりたいことは何かを自分自身に問いかけてみてください。

その答えは「あなた自身」が持っています!

合格通知

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ABOUTこの記事をかいた人

今川先生と申します。
仕事は保育園の保健室で看護師・保健師をしています。
保健師として、色々なところで講演活動をしておりますが、あくまでも仕事としての受け答えとなり、もっと、気楽に子育て中のママさん、パパさんのお悩みにお答えできればと思っております。